カフェで作業する、居心地のわるさ

2024-08-09

こんにちは、とりのささみこです。

居心地のよさに興味があり、「居心地研究室」という名前でブログを作りました。

作ったはいいものの、この夏前半は人生の特大イベントが重なり(結婚式と新婚旅行)正直なところブログどころではなかった。けど、やっぱりどこでも居心地について考える場面があって、ちょっとしたメモ程度をチマチマと書きためていました。

そんなメモのなかから、7月はじめのできごとをお送りします。以下、本文。


思わずほへぇ、と息が漏れた。

行こうと思っていた、下北沢リロード(東口側の旧線路跡)2Fのカフェ。駅から向かう前に念のため営業時間を調べておこうとGoogle Mapを開いたら、今日は定休日だったのだ。

行くつもりだった店に行けない。こういうこと、わたしにはしょっちゅうあって、なんならつい数十秒前にも似たようなことがあった。

7月は家内環境向上月間にすると決めたわたしは(なおその後あえなく頓挫する)、1日1種類ずつ、不用品を捨てようと試みている。昨日はくつを捨て、今日はかばんを処分したい。

思い浮かんだのがボーナストラック(駅西口側の旧線路跡を開発したスペース)に設置されていたリサイクルボックスだったので、紙袋に不要なかばんたちを入れて運んできたのだが、いざたどり着いたらボックスの投入口には「×」の形でテープが貼られていたのだ。衣料品の回収がストップされていた。

おいぃ!

口のふさがれたボックスの中には、まだだれかが放り込んだTシャツやスウェットが積まれているのが覗き見える。これらの回収が行われていないということは、つまり、このバッテンテープが貼られたのはそう遠くない昔のことに違いない。悔しい。

せっかく家から20分かけて歩いて持ってきたのに…下北沢ならほかに引き取ってもらえるセカンドハンドショップも見つかりそうだけど、この徒労感を抱えたままアテを探してさまよう気は起きず。その前に次の目的地としていたカフェに行こうと思ったら、である。定休日。

ほんと、こんなんばっかり。

2連続でこんな”肩すかし”な目にあっているのが誰のせいかといえば、「出かける前に調べる」という行いを怠ったわたしのせいなのだが。

さて、ジワジワとあがる気温のなか、手には行き場を失った不要かばん、リュックにはPC。日焼け防止につけたマスクの下はサウナ状態、汗がだらりと背中をすべっていく。かばんはあとで適当なリサイクルショップに持ち込むとして、まずはどこかカフェに入って涼みながら作業をしたい。

PCとスマホの充電はしてきたので、電源は要らない。wifiがあれば嬉しい。カフェインを控えたい気分なのでデカフェやコーヒー以外の選択肢があって、ここから遠くないお店……

暑い夏の屋外で、頭は対して働かない。小田急線駅エキウエのスタバくらいしか思いつかない。

うーん、スタバかぁ。

数年前に飲んだメロンフラペチーノ、おいしかった

ちょっと躊躇したのは、最近(つまり7月はじめの当時)、スタバで勉強や作業をすることに否定的なポストをいくつかSNSで見かけていたためだ。

数百円のドリンク1杯で席を長々と独占するのは、店にもほかの利用客にも迷惑だ、という話。

京都に住んでいたというひとが「自分は学生時代にスタバで勉強していたら『おつかれさまです』と店員に優しく言ってもらえていた」というポストを、「京都人にとって、その言い方は『もう二度と来るな』って意味。自分は地元だからわかる」というようなコメントとともに引用しているポストも見かけた。

正直、これはすこし意地悪な見方ではないか?とは思う。もしかしたらその店員さんは、心から投稿者の勉強を応援していたかもしれないのに。そもそもスタバのバイトって学生も多いはずで、進学とともに京都に移り住んできたほかの地域の出身者だったかもしれないのに。

それでもやっぱり、カフェで作業に否定派は一定数いるわけで。その”カフェ”という単語からイメージされやすいスタバが俎上にあがりやすいのも想像できるわけで。

なんてことをちょっぴり悩んだが、結局足はすぐそこのスタバへ向かった。溶けそうな暑さ。一刻もはやく冷房のもとへ、逃げたい。

店内へ一歩入った瞬間、冷気がさぁっと肌を撫でた。あー、サウナから出たときみたい。吸い込める空気が増えた気さえする。それに蓋を開けてみれば、スタバの中はmacを開いているひとばかりだった。外で作業してるひとって、本当にmac率が高い。わたしのリュックに入っているのは、ちなみに、ピンクのsurfaceである。色がかわいくて選んだ。

わたしのラブリーなPCが家に来た日の写真

平日の午前中なのに席はそこそこ埋まっていた。PC作業しているひとばかりでなく、スマホで動画をみている女子、ノートを広げて何かの勉強をしている青年、肩を寄せ合いおしゃべりに興じる女の子のふたり組、文庫本を開いている女性、あと数独をやってるおじいちゃん。

みんな何かしている。そうだよな、スタバってこういう場所だよな。コーヒー片手に、家の外でかりそめの居所を確保できる場所。みんな思い思いに過ごしていて、PCの作業もそのなかのひとつでしかない。

もちろんキーボード音がカタカタうるさかったり、非常識な長居はやっぱりだめだけどね。

奥に見つけたひとり用のソファ席に腰かけ、モバイルオーダーでデカフェのアイスラテを注文した。トールサイズ。まぁ、1時間ちょっとくらいなら、これでいさせてもらえるかしら……?

30分後。そそくさと退店した。

外に出た瞬間、今度は熱気がお布団のように迫ってくる。さっきは息苦しかったのに今はこれが気持ちいい。

冷房が、寒すぎたのだ。

座っていた席は、ちょうど右肩のあたりに冷房の風があたる位置で、汗で湿った服はあっという間にヒエヒエになった。しまった、なんでホットドリンクを頼まなかったんだ、わたし。腕に鳥肌が立っておさまらず、結局思っていたよりもずいぶん早く退散することになってしまったというわけ。

これは当日ではなく、韓国旅行中に行った際のスタバの写真。この日はホットを頼んでいるな。

なんだか今日は、思ったとおりにコトが運ばないようにできているみたい。ただ、幸いにも?体は充分冷え切ったので、これなら少しは外にいられそうだ。

本日最初の目的だった不要かばんの処理のため、古着屋を目指して歩き出す。

歩きながら、考えた。今日わたしが恐れたり、実際に感じたりした居心地の悪さについて。

まず恐れていたほうは、「スタバでPCを広げて作業していたら周りから迷惑と思われるのではないか?」というイメージからつくられるもの。

そして実際に感じたのは、冷房が効きすぎて寒いという身体的な感覚に由来するもの。もちろん、酷暑なので空調を強めていたスタバの判断は正しいし、まったく悪くない。それこそ度を過ぎた長居客を減らす効果もある。実際わたしに効いている。

2つの”居心地のわるさ”には、共通する根っこがある。わたし自身がその場所で”受容されている”という肌感覚の有無だ。

自分という存在が許されていない、受け入れられていないと感じると落ち着かず、居心地のよさも得られない。

たとえばカフェでPCを広げて白い目で見られているのに気付いたときは、この因果関係がわかりやすいと思う。空調のよく効いた店内の環境に自分を適合できないことも、この場所に受け入れられていないという感覚につながる気がする。

さて、わたしが目指すところは、次のとおりだ。

  • いつでもどこでも自分なりの居心地のよさを見つけられること。
  • 自分が居心地のよさを求めることで、他人を侵害しないこと。

今日感じた居心地のわるさを、どうすれば居心地のよさに転じられるだろう?

わたしの立てた仮説はこう。

①自分への承認は、自分で与える。ただし、倫理観のアンテナは立てておく。

②自分の体質を理解して、幅広い環境に適応できるように用意を整えておく。

①については、要するに気の持ちよう。「わたしはこれでいいのだ」と思えるマインドを養うのだ。他人の目を気にしすぎるのと、自分を追い込んでしまうことになるから。

ただし、「周りから迷惑だと思われるのではないか」という心配を消すために、鈍感力をあげるのは違う。「他人を侵害しない」という条件に引っかかる。だから倫理観のアンテナを立てて、踏み越えてはいけないラインの位置は認知しておく。

それに、あとから「私がやってたアレってアウトだったってこと?」と知ったときの気まずさたるや、よけいにダメージがでかい。自分のためにも、持とう、ヘルシーな倫理観。

②はもっと具体的なやつ。たとえば今日なら、わたしは自分の冷え性体質を自覚して、軽く羽織れる上着とかを持参しておけばよかったのだ。荷物は増えるけど、これが自分で自分の居心地をよくするということだと思う。

ま、そもそもの話、自宅で快適に作業できていれば問題ない話なんだけど。外出中に合間で作業時間をとらなくてはいけない日もあるけど、今日はそういうわけでもなかった。

なんでわざわざ暑い日に重たいPCを担いで来たかというと、現在(7月当時も、そしてこの文章をアップしている8月のいまも)家の中がとっちらかっており、デスクは物置場所と化し、とても集中できるような環境ではないためだ。

モノクロにしてごまかしているけど本当にやばい状態のデスク。8月現在、少しマシにはなっています、すこし…

居心地のよさを研究する、とのたまっておきながら、いちばんパーソナルな場所を整えられていないのはいかがなものか。今後の重要課題である。

(ちなみに外出時の作業場所としてコワーキングスペースという選択肢もあるが、いまのわたしには料金設定が絶妙に高く感じられてしまう。理由がしょうもない。)

というわけで、7月のはじめのわたしは、家内環境向上を目標に掲げてかばんの処分を試みていた…というのがこの一連のできごとの始まりにある。

結局7月中に家をきれいにすることは断念したが(8月に期待…)、この日の不要なかばんたちは駅からそう遠くないセカンドハンドショップで無事引き取ってもらえた。

なんなら査定ですこし値段がついたので、リサイクルボックスに入れるよりもお得だったし、予想外に短い滞在となったスタバのドリンク代を惜しむ気持ちも慰められた。

人生、なんだかんだで帳尻はあうものだ。